休日に仕事をしながら、ふとランダムで流れるBGMの中で
インパクトのある音楽が流れてきて、それが
【Ado】うっせぇわ であった。
その感想を下記に綴る。
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社会のクソみたいなルール・慣習について若者の本心を描いた素晴らしい歌だと思った。
飲み会のルールについて、酒が空いたグラスはすぐに注ぎなさい、
みんなが摘まみやすいように串を外しなさい等
とても具体的で想像しやすく面白い。
そして、歌詞のコンセプトとぴったりのインパクトのあるメロディーと歌い方、、、
全てにおいて作品として完璧。。
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その中で歌詞の内容について私の思いを書く。
一度考えたいのが、その飲み会の暗黙ルールが生まれてきた理由についてである。
なぜ、注いであげなきゃいけないのか。
なぜ、焼き鳥の串を外してあげなきゃいけないのか。
これは、すべて相手を思っての行動が起源の行為である。
だから相手の事が好きでなければやる必要はない、強制されてやる行動ではない。
なので、結局その行動は本人がやるかどうかを判断すればよい。
対して、ここで話を少し変える。
人から信頼を得る、というのは簡単なことではない。
日々の行動によって、人は人から信頼され、また、信頼を失う。
信頼される行為の一つとして、気の利く行動をとる=相手のことをよく考えた行動をとる
という行為がある。
飲み会ルールにおける行動を拒否することは、
今後社会人として、相手の気持ちになって相手の立場に立って物事を考える、という
重要な行動に対しての拒否になってしまう。
一個人に対しての自分の感情のみで生きるという、非常に狭い視野の中での考えであることは認識するべきかと考える。(なかなか感情をコントロールすることは難しいが)
自分が相手のために動いた結果、周りが自分を支えてくれて、自分が動ける環境を作るのか?
相手は関係なく自分のために動いた結果、自分の動きにくい環境を作るのか?
どちらが良い結果を生むかは一目瞭然だ。
組織は当然だが、フリーランス等であっても相手がいることに変わりはない。
この歌の冒頭で【正しさとは、愚かさとは何か見せつけてやる】とある。
何が【正しさ】か【愚かさ】かを考える必要がある。